くじら博物館

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京都で最凶の心霊スポット「深泥池」は、神秘的な古池だった

 

筆者は兵庫県出身なのだが、これまで「心霊スポット」とは縁のない人生を送ってきた。しかし現在住んでいるのは京都、京都といえばいわくつきの場所が非常に多い場所である。

 

その中で、特に全国区で有名な「深泥池」に最近よく行く機会が多い。

(いわゆる、「深泥池」へ向かうタクシーの後部座席に乗せた女性が消えていた・・・という話の舞台である)

なぜかというと、深泥池の付近にある自動車教習所に通っているからだ。

そんなわけで、私は怖がりのくせにせっせと心霊スポットに足を運び続けている。

 

おどろおどろしいレビューを期待している方には申し訳ないが、今のところ夜中金縛りにあうとか、体中に引っかき傷が出来たとか、池の上に狐火を見たとか、そんな目にはあっていないし、おそらく私は「霊感」というものを全く持ち合わせていない人間なので、私のレビューにホラー要素は登場させることが出来ない。無念だが。

 

ちょっとだけ考察

以前、デイサービスの職員の方(岩倉には介護施設も多い)とお話する機会があり、その際に聞いた話では、深泥池がある「岩倉」という地域には精神病患者を地域ぐるみで治療してきたという歴史があるそうだ。

推測ではあるが、精神病患者が多くいる地域、ということで多少の偏見もあっただろう。そして暗がりのなかでみる池はどんな池でも少しヒヤリとさせられる。

もしかしたら本当に霊感のある人には、見えてしまうのかもしれない。

でも、霊感の無い人間にも「なにかいそうだ」と思わせる雰囲気が、確かにこの池にはある。

 

「暗がり」×「水辺」(池をはじめ、川、海など)の組み合わせに恐怖を感じる。それは結構多くの人が共感してくれるのではないだろうか。

 

私も実は、深泥池からも程近くにある、「宝が池」で恐怖を感じた事がある。

地下鉄「国際会館」駅を出てすぐにある宝が池公園だが、私が住む場所からは自転車で行けてしまう。

ある晩、私は体を動かそうと思い自転車で宝ヶ池公園に向かった。池のほとりまでは、一度山を越えてから坂を一気に下って向かう必要がある。私は息を切らしながら、人通りもない公園の坂を漕いでのぼり、その急な坂を下っていった。

 

そして池が見えた瞬間、私は突然全身に寒気を覚えた。というか本能的な恐怖に包まれて、すぐに引き返した。池、まじで怖すぎる。

 

昼間や夕方に訪れた時は、もちろんこんな恐怖を感じたことはなかった。

夜の闇そのものも人間の恐怖を煽るのかもしれないが、私はやはり夜と水辺の組み合わせが悪すぎるのだと思う。

 

心象風景のなかの「池」

私の最も身近な池は、母の実家にある池だ。昔は直径五十メートルを超えそうな大きな池だったのだが、埋め立てて畑にしてしまったらしい。

幼いころ、その池に網を突っ込んでみたことがある。

 

「ズルズル・・・」

目ではわからなかったのだが、なんと子供だった私の背丈を優に超える網がすべて水に浸かってしまうほど深い池だった。

小さなエビのようなものが取れたのだが、そんなことより池の深さに驚いた。

底にたまっている泥は、いつから堆積しているものなのだろう。

子供心に、「あの池はチョッピリ怖いな」と感じたのを覚えている。

それからというもの、その池は何度か夢に登場している。

誰かが沈んでいく夢、また自分が沈んでいく夢、池の中に広がる竜宮城のような世界に行く夢・・・。

 

みなさんの周りにも「池」は無いだろうか?

心の中でその「池」を思い浮かべてみてほしい。

 

 

 

 

 

 

世間知らずの18歳が一人で台湾に行ってみたら・・・

 

 

台湾に行ったのは2016年の夏だった。

もう2年も前のことなのだが、記憶はまだ鮮明だ。私はそのとき18歳だった。そして本当に神経質で、人見知りで、世間知らずの子供だったのだが、その旅行を経て多少大人になれたかなという自覚がある。

もしその時の私と同じように、一人で台湾に行きたいと思っている子がいたらぜひこの記事を参考にしてほしい。もちろんどんな旅になるかは人それぞれだが、一例として読んでくれたらと思う。

 

 

 

1.旅のきっかけ

 私は正確には長女だが、姉のように思う二人の従妹がいる。特に年の近いほうの姉は私より五つ年上で、よく話をする間柄だった。「一人で台湾に行こう」と思ったのは、彼女の影響が大きい。


中学高校時代は、ほぼ毎日同じ学校に通う。誰しも一度は思うことだろうが、それが退屈で仕方がなかった。せめて何か変化が欲しいと思い、違う道を使って登校した結果遅刻する日もあったくらいだ。そんな私にとっての一番の娯楽は、「旅行」だった。といっても実際に旅するのではない。「旅行番組」、「旅行雑誌」、「旅行記」を見て楽しむこと。そして、旅行好きな従妹の話を聞くこと。


「英語を勉強したいから、フィリピンに留学してくるね」「こないだイタリアの彼氏にあってきたよ」「インドに友達と二人で行ってきたけど意外と楽しめた」・・・従妹は五歳しか変わらないのに、なんて自由に生きているのだろう。私は自分の住む狭い世界と比べては、ため息をついていた。


 「いつか従妹のように、一人で、世界のどこか知らない場所に行きたい」言葉にしたことはなかったが、私はそのような思いを持っていた。そして長く退屈だった「生徒」時代が終わり、私は晴れて「大学生」になった。ご存知の通り、「大学生」は自由である。夏休みはなんと二か月近くある。私はようやく手にした「自由」を、当面の予定として何に使うべきか考えた。答えはすぐに見つかった。

 

2.出国~一日目

行先さえ決まれば、あとは簡単だ。なんといっても私には旅慣れた師匠がいた。私はまずパスポートを取得し、従妹に安いチケットの取り方を聞き、航空券を買った。それからできるだけ安くて安全そうな宿を予約した。

 

(実際に泊まったゲストハウス。安くて快適でご主人が親切でした!おすすめします↓)

台北シェアハウス mimi


「一人でいくの?でもまあ台湾なら、大丈夫だね」というのが周りの人の反応だった。私もそう思っていた。親日国らしいし、観光地をぶらぶらする予定だし、中国語も授業で少し習ったし、何とかなるだろう。お気楽旅行だ。


 しかし甘く見すぎていた。まず京都の下宿を出て関西空港に向かうまでの経路を、当日に調べるという無計画っぷり。案の定大阪の地下鉄を、大きなスーツケースを引きずって移動することになった。何とか空港に到着しても、国際線の場所がわからない。飛行機を待つだけ、という状態になる頃には、私はくたくたに疲れていた。


 「なにか飲み物を・・・」と喫茶店を探したが、深夜の便だった為、飲食店はマクドナルドしか開いていなかった。私はマクドナルドでお茶を買って、世紀末のように荒れた店の様子を眺めていた。


 はっと気づくと、搭乗時間はもうギリギリになっていた。眠ってしまっていたのだ。

やってしまった。私は大慌てで搭乗口に向かった。

案の定もう他の人はいなかった。駆けてくる私を見て、人形のように美しいCAさん達も少し焦りながら様々なチェックをしてくれた。

 

私はただただ小さくなって言われるがままに向かうしかなかった。なんという旅の始まりだろう。しかし飛行機の中はまだ人が入り乱れて、出発の準備をしていた。

 

私は少しほっとしたが、それにしても「自己責任」というものをこんなにも感じたのはそれが初めてだった。せっかくの旅をパアにするところだったのだ。

今思うとこういう失敗をするたびに大人になっていったような気がする。私は自分が思っていたよりもかなり世間知らずだった。

 

 ついに台湾国際空港に到着し、私は必死にバスを探した。

ぶっきらぼうな台湾の運転手さんにスーツケースを預け、座席に座るとバス内のモニター画面に台湾のCMが流れていた。

学園青春もののCMが延々流れていたのだが見ていたら頭が痛くなってきた。

出発したときは夜明け前だったのに、市街地に近づくにつれて夜が明けてきた。街並みに目をやると当たり前だがそこは日本の景色とはまるで違った。

「私は今、外国にいる、しかも完璧に一人ぼっちで、話し相手すらいない」

と実感して少し怖くなった。でももう引き返せない。帰りの飛行機は四日後だ。それ以外なんの予定も無かった。

 

 こうして早朝、台北駅付近に到着した。そしてとりあえず閑散とした駅に入って、地下鉄に乗ってみた。
 私は台湾の地下鉄(MRT)が大好きだ。とても清潔だし、切符がコイン型なのも可愛いし、路線ごとにある接近メロディの一つ一つが個性的で印象に残る。

 

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特に松山新店線の「ノクターン」をモチーフにしたチャイムは、電車が来るたびにすがすがしい気持ちにさせてくれる。ぜひ訪れる人には、生で聴いてほしい。

 

 あまりにも朝早かったので、できることもあんまりない。

私はとりあえず朝市で有名だという「中山(チョンシャン)」に向かった。

着いてみると、朝市はまだ始まったばかりのようだった。せめぎ合う屋台の間を歩いていくが、非常にローカル感の強い市場で、私が手を出せそうな物はまず売っていないようだった。初心者には早すぎた。しかしお腹が空いてしかたがないので、大通りに出て歩いていると初心者にぴったりのお店を見つけた。


 そう、パン屋なら会話しなくても自分の食べたいものを買える。

恐る恐る店内に入ってみるとありがたいことに、ほとんど味が予想できそうなものばかりだった。しかしそれでは面白くないと思い、丸い形のパイのようなものを買った。

不味そうなイラストで申し訳ない・・・

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これは、「ダンファンス」というらしい。甘いあんこの中に、しょっぱい卵の黄身が入っている…。初めての味だったが癖になる。しかしなんとなく想像はつくだろう、これを食べると非常に口が渇く。私は飲み物を探すことにした。

 


 さて、「タピオカミルクティー」という飲み物を皆さんはご存じだろうか。

私はそれが大好物で、台湾が発祥の地とのことだから旅の間は水のように飲んでやるつもりだった。タピオカの食感を台湾では「QQ」と表現するらしい。

旅の計画は一切立てなかったくせに、注文の仕方だけは完璧に予習済みだった。早速ドリンクスタンドを見つけて注文しようと話しかける。

 

初めて台湾の人に話しかけるということで少し緊張しながらも伝えようとするも、驚くほど通じなかった。私とほぼ同い年くらいの若い男の子は、イライラした様子を隠そうともせず、唯一わかってもらえた「タピオカミルクティーが欲しい」ということを頼りに手荒に一杯用意してくれ、値段が表示されたレジを無言で指さした。私はとりあえず「シェイシェイ」と言ってお会計を済ませ、逃げるようにして立ち去った。

 

覚悟はしてはいたが、言葉が不自由だとこんなにも、もどかしいのか。

日本ではかなり気を使って、人にイライラ「されない」ように生活している。

現在の私にはそれができないのだ。

しかし、そのタピオカミルクティーは驚くほど美味しかった。紅茶の香りがしっかりと出ており、甘さもさっぱりとしていて嫌味がない。手を抜かれたわけではなさそうだ。それを飲みながら街を歩いていると、台湾の人々が私に全然興味を持っていないこと、街の小汚さに、肩の力が抜けていくような感覚を覚えた。

「はいはい、観光客ね」と扱われて、私はむしろ気楽さを感じていた。

日本にいるときのように気を遣おうとしたって絶対に出来ないのだから、そんなに気を遣わなくてもいいのだと、気持ちがリラックスしていくのが自分でもわかった。

 

 お昼ご飯は、乱立していたファミリーマートでヘンテコなお弁当を買った。

台湾にはセブンイレブンファミリーマートがたくさんある。歩けば当たるといった感じだ。基本的に配置や、ぱっと見の印象は同じなのだが、変なにおいのするタマゴや、具沢山の茶色いお弁当が売っていたりしてパラレルワールドのような感じだった。

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その弁当を買って、宿のそばまで行ったのだがチェックインまであと3時間近くあった。足も疲れていたし一人でほっと一息つきたかったので本当は入りたかったが、さすがに早すぎると思い、宿の前の公園に落ち着くことにした。

 

 公園かと思ったが、そこは寺のようだった。しかもド派手な。台湾ではよくあるタイプのお寺らしいが、昼間から電光掲示板に何か文字が流れているし、全体的に真っ赤だし、広げたお弁当は正直口に合わなかった。

疲れもあったし、人目を気にしなくなっていた私は、えいっと、ベンチに寝転がった。

しかし次第に不安がこみあげてくる。帰りたい、とすら思っていた。

私はそんなネガティブな思いを打ち消したくて、荷物を取られないように枕にし、関空で購入していた夏目漱石の「それから」を読むことにした。だんだんとても穏やかな気持ちになって、気づいたら眠ってしまっていた。

 

 目が覚めたが、周りの風景は何も変わっていなかった。遠くで体操をしているおじいちゃんが増えていたくらいだ。寝汗をかくほどぐっすりと寝ていた自分に驚いた。時間も程よくなっていたので、宿にチェックインすることにした。

 

 その夜は宿の主人と、泊まっていた日本人の調理専門学校生の女の子と一緒に夜市に行った。やはり現地の事情に精通する人の話をきけると心強い。

 そして私はすっかり台湾の夜市の魅力にハマってしまったのだが、それについてはまた別の記事でしっかりと書きたいと思う。

ともかく、一日目はかなり不安な出だしだった。

明日からはもっと楽しめますように・・・と祈りながら眠りについた。

 

3.二日目 「袖すり合うも多生の縁」

 二日目は、人との出会いに恵まれた一日だった。

 

 朝起きて、私はまたパン屋をさがし、最寄りの「行天宮」駅そばのパン屋に入った。
私がキョロキョロしていたからか、店のおばさんが話しかけてきた。おばさんは終始ニコニコしていた。


「日本人?」
「あっはい」
「今日はどこいくの?」
「キュウフン・・・に行きます!」
「キュウフン・・?あ、九份ね!一人で行くの?」
「はい」


そういうとおばさんは顔色を変えて、危ないよあそこに一人で行くなんて、あなた何歳?と聞かれ18です、と答えるとおばさんはさらに驚いたようだった。


「18歳の娘が一人で海外旅行なんて・・・」
そう言いながらおばさんはパン屋のチラシの裏に、名前と電話番号を書いて渡してきた。


「何かあったら私に電話してきなさい」


初めて台湾の人にやさしくされて、私は嬉しくなった。

おばさんは少し私の肩を撫でて気を付けてね、と言ってくれた。お礼を言って、パンのお会計を済ませようとした。

レジの女の子は私と同い年くらいで、お釣りをわたしに渡しながら何かボソボソとつぶやいた。私は聞き取れなかったのでおばさんになんていったのか尋ねると、おばさんは大笑いしながら、

 

「この子、あなたと同い年なんだけど、あなたが一人旅してるっていったら、金持ちめ、っていったのよ」と言った。


お客様気分で浮かれていた私は恥ずかしさでいっぱいになり、おばさんにお礼をいってからすぐ地下鉄に飛び乗った。

 

確かにバイトで生活を工面している18の台湾の女の子からしたら、私の旅は道楽でしかないだろう。

でも今になって思う。もし台湾語が話せたら、私はあの女の子と友達になりたい。私は確かに親の仕送りに頼って生活しているけれど、普段はあなたと同じようにバイトして、そんなお金をためて遊びにきたの。私はつまらない人間かもしれないけど、ただの「金持ち」ではないよ。私のことを知ってほしい、と思ってしまうのだ。

 

九份はいいところだったが1時間もしないうちに飽きた。

しかしせっかくきたものだから、昼食をとって日暮れまでぶらぶらと歩いていた。

 

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その時突然雨が降ってきて、私は傘もなく濡れながら走ってバス停へ駆け込んだ。

同じような人がほかにもたくさんいて、屋根があって雨をしのげるバス停はぎゅうぎゅうに混んでいた。

私は暇すぎてバスの路線図などをよく見ていたので、どのバスに乗れば帰れるのかわかっていた。列に並んで、タオルで髪を拭きながらバスを待っていると、後ろのほうから不安げな男性の声が聞こえてきた。


 彼は英語で、列の後ろのほうの人たちにこのバスはどこに向かうのか尋ねていた。しかし尋ねられた人達は英語がわからないようで戸惑って、彼も困り果てている様子だったので、とっさに「このバスは○○に向かいますよ」と伝えに行った。

うまく伝わったのかわからなかったが、彼はニッコリ笑ってありがとう、と言ったので、少しほっとした。元の列に戻ろうとすると、彼に君はどこに行くの?と聞かれたので、行天宮だ、と答えると彼は首を傾げた。

そして僕についてきて、と合図をしてきた。私が不安そうな顔をしていると彼はこっちのバスのほうが早いと思う、というようなことを言っていたので私は恐る恐る彼についていった。さっきまで迷子のようだったのに、急に自信に満ちたような彼の変化に少し戸惑ったが、確かに案内されたバス停はさっき並んでいた所より早く着くらしかった。


ありがとうというと、彼はまたニッコリ笑ってどういたしましてと答えた。

そしてさらに話しかけてきた。名前は?どこから来た?何歳?と質問攻めにあっていると、バスが到着して乗り込んだ。

彼は私の隣の席に座って、また話を再開した。私が彼に、あなたはこのバスでよかったのかと尋ねると、僕も君の降りるバス停から近いところに泊まっているんだ、といって宿を見せてきたのでそんなものか、と納得した。


彼は韓国人だったが、名前からしても欧米とのハーフのようだった。彫が深くアジア人だとわからなかった。私が英語を話すのが苦手そうなのを見て、グーグル翻訳の画面を出してきた。彼が英語で質問をし、私が日本語で答えを書き、Googleが韓国語に翻訳してくれる。そうやってコミュニケーションをとった。


彼は兵役が終わってから何度か一人旅をしていると言った。

兵役はどうだったかと聞くとブルブルと震えるジェスチャーをしてもう行きたくないよ、と首を振った。その目がそれまでの無邪気な子供のような彼とうってかわって哀愁にあふれていて、彼のような筋骨隆々とした男でも嫌がるなんて、どんなに大変なのだろうと思った。

 


そういえば台湾での初めての夜に、夜市を案内してくれたホステルの主人が言っていた。台湾にはヤンキーやチンピラがいないから、治安がいいと。確かに日本で夜の繁華街に行けばそんな人たちがたくさんいると思うが、夜市には絡んできたり威圧したりする人はいなかった。それは、主人がいうには兵役のせいらしい。兵役に行くと、そういう人を徹底的に潰すんだよ、だからみんなおとなしい。日本はアジアでは珍しく兵役がないから、ヤンキーやチンピラが元気なんだよ、と言っていたのを、その時ふと思い出した。

 


日本には兵役は無いというと、彼は知ってるよ、めちゃくちゃ羨ましかった。と言ってまた悲しそうなジェスチャーをした。

そして彼は日本旅行でのラーメンや太宰府天満宮の写真を嬉しそうに見せてきた。私も行ったことあるよ、というと満足げに笑っていた。


彼はさらに好きな音楽や、映画を聞いてきた。そういうときに限って、良い答えが見つからないものだ。

私はとっさに最近見たマーベルの映画を挙げた。すると彼もマーベルが好きだったらしく彼が好きな映画を紹介してくれた。

音楽は、アコースティックな演奏が好きだというと、彼は難しい顔をして少し待ってね、といい韓国にはこういうアコースティックバンドがいるよ…実は僕はあまり聴かないけど、気に入るかな?といって私にイヤホンを片方渡して、なんとイヤホンをはんぶんこするという状況になった。

 

私はもういいやと思って借りて聴いた。すると言葉が違うだけで、その感情の乗せ方とかアコギの節回しは日本の秦基博とかと変わらなかったので、少し面白かった。

 

聴き終わると彼は、私にも何か曲を教えてといったので、私はカラオケぐらいでしか聴かないというのに、とっさにスキマスイッチの奏をリクエストした。いまだに謎である。


それを聞きながら彼は眠っていた。そりゃ眠くなるよな。と私はおかしくなって窓の外を見ると、もう市街地に戻ってきていて、ネオンや街の明りがキラキラ光っていた。


バス停に着くと彼もいっしょに降りた。私がそこから地下鉄で移動するというと、彼も地下鉄で帰るらしかった。

どこまで一緒なのかと思いながら切符売り場に着くと、彼がEasyカードを持っていないのかと聞いてきた。持っていないというと彼は作ってあげるからついてきて、といって駅員のいる事務所に向かった。

彼は駅員にいくらかを渡して、何か説明しているようだった。そしてすぐにカードを手に入れて、私にくれた。日本のイコカ、スイカみたいなもので、それがあるといろいろと便利になった。

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そこからは本当のお別れだった。

地下鉄のホームが別だったのでその階段の前で、彼はラインを交換しようといい、私はそうしましょうと答えた。そしてじゃあねといって別れた。

 

その後、宿でシャワーを浴びて寝転んでいると彼から、明日もしよかったら一緒に「淡水」に行かないかとメッセージが来た。私は悩んだが一人旅を楽しみたかったし、これ以上一緒に過ごすとただの旅の思い出では済まなくなってしまいそうだったから、丁重にお断りした。

その時はせっかく親切にしてくれて、気も合う人だったのにと少し後悔したが、今となってはそれでよかったと思う。

 

 4.三日目 「一人旅ハイになる」

三日目の朝は、少し台湾に慣れて朝ごはんに豆乳と揚げパンを買って食べた。台湾の朝ごはんの一般的なスタイルだという。しかし期待したほど美味しくもなかった。


その後、宿の主人におすすめされた「中正記念堂」へ向かった。昨日の韓国人に作ってもらったICカードにお金をチャージして、地下鉄に乗り込んで。


中正記念堂は確かにとても見どころの多い、広々としたところだった。

真っ白な建物や、庭の壁の装飾が見事だった。

展示室の中には蒋介石にまつわる品々が並べられていた。私が特に興味をひかれたのは、蒋介石の妻、宋美齢氏の作品だった。私はどうしても「女性」の人生というものに心惹かれてしまう。蒋介石がいかに素晴らしい功績を遺したかをたたえるための建物のなかで、蒋介石に深く愛されたという彼女の残した絵も、秘めやかに保管されていた。

 

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そしてお昼には「冠京華」という店で小籠包と、エビチャーハンを食べた。お店のおじさんは、一見不愛想だったが本当に親切で帰りには笑顔で送ってくれた。

個人的にここの小籠包とエビチャーハンは世界一美味しいと思う。

上に書いたように、一人旅の客にも優しくしてくれるし、ぜひ訪れてほしい。

www.taipeinavi.com

 

私は三日目にしてようやく一人旅の気楽さを実感した。話し相手は今や、自分自身のようになっていた。一日目、寺の公園で時間をつぶしていた時は早く帰りたいと思っていたのに、なんだか台湾から帰るのが寂しくてたまらなかった。

その後、私は「故宮博物館」に向かった。しかし、半日ではとてもまわりきれない宝物の数々に圧倒されてくたくたになった。宿に戻ってから、今日が台湾最後の夜だと気づいていてもたってもいられず、また一日目と同じ夜市に向かった。

 

5.四日目~帰国

帰国する日の朝は不思議な達成感に包まれていた。お昼過ぎの便で帰るつもりだったので、ゆっくりと支度をし、宿の主人にお礼の手紙を置いて、部屋を出た。

土産物を買うのは最低限にした。そして最後に、「杭州小籠湯包」という店に向かった。

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しかし人気店なだけあって、店は大変混雑していた。やっと自分の番号が呼ばれ、テーブルに案内されると相席だった。向かいに、自分と同じく一人旅らしい若い男性が座っていた。

私はなぜか一目で、日本人だ、とわかった。

相手も私のほうをちらちらとみていたので、私は思い切って話しかけた。「あの、日本の方ですよね?」と私が言い終わる前に、その男性は「やっぱりそうですよね!」と言って笑った。なんとなくわかりました、と彼は言った。きっとそれは、お互いの目の動かし方で分かったのだと思う。

非常に曖昧な感覚だが、彼の目線は日本で生活しているときによく感じるものだった。「世間」という概念は「目」に喩えられるが、まさにその感覚を懐かしさとともに感じた。そして自分もまたその「目」の持ち主だと、思い知らされた。


そして、私は小籠包と、なんだかよくわからないが店員に勧められたスープを注文した。
料理を待っている間、その日本人男性と世間話をした。彼は人のよさそうな笑顔の持ち主で、シンプルな服装をしていた。特徴と言えば眼鏡をかけていることくらいだ。

さっき来たばかりだという彼に、私は今日帰るんですと言ったら、入れ違いですね、と微笑んでいた。話を聞くと彼は台湾人の彼女に会いに来たのだという。

 

それを聞いて少し意外に思った。国際恋愛で、しかも別々の国に住むなんて大変なことだろう。彼はそんな情熱的なタイプには見えなかったので、好きな人のために飛行機で飛んできたと少し誇らしげに話すのに驚いたのだ。


小籠包は予想以上に美味しかったが、一緒に頼んだスープがまさかと思うほど不味かった。メニュー上は酸辣湯ということだったが、少し赤黒く、どろどろしていた。今回の旅で一番不味かったそれの正体は、「鴨の血のスープ」(たぶん)だった。

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私が一口すするなり青ざめたのを見て、彼は酸辣湯に鴨の血が入っているんだと思いますよ、かなり癖が強いですよね、と笑っていった。

私は思い切って、彼に食べてもらえないかと尋ねた。すると彼はいたずらっぽく笑って、いいんですか?いらないなら、いただきますよ、と言って鴨の血のスープをあっという間に平らげた。
美味しそうに食べる彼を見て、やはり台湾人の彼女がいると現地の食べ物にも慣れるものだろうか、しかしこんな癖のある食べ物を美味しそうに食べるなんて、やっぱり人は見た目によらない、そんなことを思っていた。

 

そうして、私は来る時と同じルートをたどって日本に帰った。

帰国はあっけないものだった。
名残惜しさもあったが、最後に出会った日本人男性が何度も台湾と日本を行き来していると話していて、その近さを改めて感じ、またすぐに帰ってこようと思った。

 

 

こうして私の初めての海外旅行は終わった。


「こんなことをいったら嫌われるんじゃないか?」・・・そうやって気を使って普段日本で生きている。文脈を理解できる人ほど、いつしか「世間体」という実体のないものに縛られてしまうものだと思う。

 

初めて一人で海外に行って、日本での生活を客観的に見てみたことで、それをなんの考えもなしに簡単に受け入れていた自分に気づいた。

そして、自由とはすべて自分の責任におかれるということも、体験した。

 

「大人」からすれば当たり前のことかもしれない。しかし私はこの旅を通して、それを学んだのである。

 

 

 

 

 

 

(また一人海外旅行行きたいな~)